社会主義というのは壮大な実験だった、ように思う。
そして自分自身も両親の実験だったように思うところがあるがゆえに、
つい重ね合わせてしまう。
地域の文化資本が「野球」しかない中で仕方なく
野球をするという形で自己の逃避先を作っていたが、
当時の都立高校、
特に自分の住んでいた第6学区は行くべき高校がなかった。
偏差値65程度の都立高校でも国立早慶どころかMARCHにすら引っかからない。
それは悲しいかな本屋がない街と同様に、大学という現物がほぼ存在しない第6学区の文化資本の乏しさゆえである。
となると私立進学校が選択肢となるが、共学化の流れの現在とはことなり、
進学率アップには男女別学が主流の時代だった。
そしてこれも思うけれども中高一貫校の高校募集にねじ込まれた口だったが、
内部組との壁があったりと疎外感を味わいやすい。
外部組との仲はよくなるが、
まあ学園ライフを充実させるのならば中学からの入学が正解のように思う。
たとえていうならば外部組は限りなく「編入学」に近いようにも思う。
それを嫌ってか、高校にしても、大学にしても内部生のいないところを狙う、
という人も一定数いる。ある意味それは正しいようにも思う。
というわけで今にして思うと、別学からの共学化、都立の中高一貫化、学区域自由化制度などすべて実験のボーダーに自分がいたことを思うw
息子はといえばまだ中1なのでどこに行きたいかはないようだが、
やりたい部活をメインに考えているようだ。
実験の成果を検体の側からw還元したい。