「40代も捨てたもんじゃない」とか「いつまでも若く」みたいなものは基本的に鬱陶しいと思っていた。ともかくも嘘くさいと思っていた。
個人的には10代も捨てていたし、20代も捨てていたし、30代も捨てていた。40代も引き続き捨てているし、そもそも人生そのものを捨てている。
正直にいうとこんな感じでおかしいのかな?と思っていたけれどよかったように思う。自然な感性だったように思う。
特に日本のこの雰囲気だといわゆる普通の人は「捨てたく」なる。
日本はすべてのクオリティが高く、先人の蓄積もたくさんあるので「自分一人が頑張ったところでなんになるの?」ということになるはず。
基本何にもならないよね?ということをきちんと認めた上で「じゃあ冥土の土産にこれだけ」「これだけ」としらばっくれてやり続けて今に至る。
ちょうど捨てていた20代の頃に「キスだけじゃイヤ」という島田紳介MCの深夜番組を眺めていたら、死ぬと勘違いした(というか嘘なんじゃないかと思ってる。)コミュ障のヲタが死ぬので告白させてくれとお嬢様風の彼女に告白して成功した、というのをみた。
この冥土の土産感というのになんとなくピンと来て、自分の行動の感覚となっている。
テーマとしては「人生最後の日に何をしますか?」に近いようでいて、ちと違う。
例えば海に行ってそろそろ帰ろうかな、くらいの時だとか、海外旅行の帰りの空港で何を買っていこうかな、という感覚に近い。
なんとなく「来ようと思えばまた来れるんだけど、どうせ来ないんだよね。」という感じ。「だったら一応そこまでってわけじゃないけど、やっとくか。」というくらい。
実を言うと隠れ最上資質、それも究極すぎる最上資質なんだと思っている。
だから人生を捨ててそこそこやれてる。
冥土の土産コレクターという生き方をもう少し続けることになりそうだ。