息子をみていると、まあ気質が似ているところもあるのか、
「ネタ」のような人生である。
最近は英語が嫌だ嫌だ、と言っている。
だが、四の五の言わずやれ、と押し切っている。
「数学は楽しいからいくらでもできる」と本人はいうが、
それもゆくゆくは怪しいと思っている。
計算が早いというのを昔から言われて悦に入り、計算問題が好きなのだ。
ひたすら何も考えずに計算問題を解くのが好きで、
国語でいえば「漢字の書き取り練習が好き」に近いものだと思っている。
ただまあ「文系科目が苦手だから僕は理系」という「相対性理系理論」はあるとは思っている。
最近は留学したい、留学したい、といっているので「留学するなら英語資格のスコアがいるよ」
というのを盾にはしている。実際本人も英語をやらなくてはいけないのがわかってはいるものの、
「やりたくない、やりたくない、楽しくない」と言い続けたいのだ。
朝起きず「起きないと遅刻するぞ」と言われ続けないとダメなように。
「起こさないとなんで起こしてくれなかった!」と本心で思っていて勉強もやれやれと言われたいのだ。
親としては、あるいは最近のコーチング的教育の潮流からすればこの手の介入主義はよくないのでは?
と思ったけれど、結果的にはそうでもない。
野球で練習をしない息子とお盆に「あいつら(他のチームメート)練習してると思うぞ」といって
公園にいくと案の定しばらくするとやってきて練習をしていた。
一時期学校に行く前にキャッチボールをしよう、という約束をいつの間にか守らなくなった息子は
練習に誘われなくなったのだった。
野球については最近はあまり言わなくても自分でやるようにはなった。
勉強もある程度は言ってやる時期なのではあると思う。
「留学したいなら、大学に行って交換留学の試験に受からなくっちゃ。そのためには英語資格とってないと申し込めない。」
だましているわけでもなく、事実をつたえると、あきらめるようだ。
何言ってるかわからない、といっていた社会もテコ入れして基本的な考え方のポイントをつかめたら
授業で処理できる率が増えたようだ。
うちの家系はほおっておくと高校レベルで偏差値52から57くらいの頭なのだ。
要するに中の下の頭しかないので、育成してあげないとだめ。
いろいろな人との出会いというのが人生を左右するけれど、
それを生かすにもある程度の自力をあげないと、と思うのだった。