「平凡な人生が望み」というわけではないけれど、誰もがうらやむような暮らしがしたいというわけでもない。
「人生に無駄なことはない」
「努力はきっと実る」
多分そうなんだと思うが、この表現があまり好きではないのだ。
どうも未練タラタラというか、どこかで「こんなことやったって無駄なんじゃないのか?」というのをどこか納得させるようなものを感じるから。
自分はというと努力は実りやすい方だと思う。
なぜかというと、努力にさほど精神論的な価値を感じていないから。
結果無駄になってもいいと思っている。
無駄なものは無駄である。
占いでもコーチングでも努力でも無駄なものは無駄である。
そしてそれはやろうと思ったときにはそうだとわからない。
無駄だとわかったらやらない。でもやってみないとわからない。
当たり前すぎてこれ以上言えない。
きつねのブドウのように「あのぶどうはきっと酸っぱかったのだ」と思うのではなく、「無駄な努力のおかげで厄が落ちたのだ」と考えるようにしている。