「そんなの学校で習わない。」
これをいうと学校以外でもいろいろ学べよ、という話になる。
だけど、子供を学校に行かせるとなると、それとは別の次元で学校には色々要求したくなってしまう。
やっぱり一番長くいるところなわけであって、そこで受ける影響は大きいからだ。
夏休みということもあってか、昔通っていた塾の先生の話を思いだした。
直接習っているわけではなく、自分が言われたわけでもなかったけれど。
「その試合勝てそうなのか?行ってもどうせ負けるんだったら(行かずに)塾にこい。」
夏季講習で部活があるから塾休むという生徒に対して言っていた。
ほんとしょーもない。
実をいうと大学生の時塾で長くバイトしていたこともあるから余計にそう思う。
アナウンサーという商売も自己顕示欲の塊「だけ」の気がしているが、塾はもっとねじくれている気がする。
英語とか普通にやればいいだけなのに、なんであんなねじくれた教え方するのかわからない。
普通にやって残りはまともなことを教えればいい。
「この勉強って役立つんですか?」
ということの答えとしては端的に言うとその教科の既得権益や研究費を枠を守るために役だっている。
実際問題それが無駄かというと回り回って役立ってはいる。わかっちゃいるけども17,8歳にゴリゴリやらせるべき内容なのかは疑問でもある。
教科でいうのならば、日本史世界史ではなく政治経済、倫理あたりをどっぷりやって、それに必要な数学なり文章で国語力を磨いた方が実践的だと思うのだよね。体育の好きな子にはスポーツ関連の評論だったりとか専門の本を読ませて国語力なり数学を学ばせるだとか。
逆に国語は得意だけど他のことが苦手な子には好きになるような文章を読ませればよいのかと。
要は試験の目的が順位をつける、学力を上げるという抽象的な度合いにとどまっているからダメなんだよね。
くもんの体験期間が終わり続けますかと電話があった。
「とてもできて英語もどんどん進みました。でもひらがながすらすら出てこないので国語の体験も受けませんか?」
ひらがながなんて必要が出てくればそのうちすらすら出てくるでしょうよ。
英語もぺらぺら話せて、ひらがなもすらすらできて、計算が早い子をつくりたいわけじゃないんだ。
オタクの英語をやらせているのは、うちの子供がまだおこちゃま脳で英単語たくさん読んで喜んでいるうちに遊び感覚でボキャブラリーメインで覚えさせようというだけ。
そこを確信犯でわかっているような先生といつかあえると嬉しい。