「いつからだって遅くない。自分の本当の人生の目的を目指してみる。」
これはかっこいい「公式」ではあるけども、公式であるがゆえに世に出回る話というのは基本的にとても編集されてしまった感じの印象を受ける。
基本的にポジティブ要素7、でも実はこんな苦悩があった要素3くらい。
ハッピーエンディングひっくり返し系だと割合は変わる。
実際は遅くはないんだけれど、もう諦めてしまいたくなるくらいに引き戻せないことというのは辛い。
例えばベタな話。「いい大学に入って(そこそこでもいい)、いい会社に入れば(そこそこでもいい)幸せになれる。」
とは限らない、と言いつつ、自分の幸せの中にはこの古びた神話から派生したものも多い。
一方で同じくこの公式を信じてやってきたのに「あんたにゃまるで関係なし」みたいなこともままあること。
すぐ気づけばいいけれど、信じるべきか、撤退するべきかというのはそんなに簡単じゃない。
撤退するのも早まるとやっぱり勿体無い、ということは当然ありうる。
小学校時代の同級生で、いわゆるガリ勉、運動音痴、コミュ障、お顔もちょっとという男子がいた。高校も超進学校だったが、「自分には恋人もできないし」と楽しくなかった様子。そのまま国立の医学部に入って医者になった彼はしばらくするとどこぞのお嬢さんと結婚して子供3人くらい作って幸せに暮らしている。
この手のパターンは大学の先生あたりも多い。運良く教授になって年下のお嬢さんと結婚して子供3人くらい作って(くらいという割に具体的。)幸せに暮らす。
ただこれを信じていてうまくいかなかった場合、なかなかややこしい。諦めるにも諦めがつかないし、諦めてからもどうするの、というお話。
根の良い人だって正直セクハラやらパワハラやら歪んだ気持ちになってしまうのもわからんではない。やっていい訳じゃないけれど。
これは女性でもたまにあるシンデレラストーリーが諦めに歯止めがかかってキツイっちゃキツイ。
最近あった和歌山のおじさん事件も分かり易過ぎるから受けているけれど、あんな感じでそこそこ幸せに人生をまっとうするケースもあるはず。