業務報告書

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キャリアにおける不遇性

息子はというと弱小ということもあり、

中学校では縦横無尽にやりたいポジションをやらせてもらえている。


実をいうと小3で入ったサッカーチームでも同じで、

やりたいポジションをどんどんやらせてもらっていた。


ただチーム自体は弱くやる気もなかったため本人的には不満で、

強いチームということで強い野球チームに入ったのだった。


ただ今度は逆に強すぎて自分は試合に出られない、という。


自分も経験があるけれど、結局はこの繰り返しなのかと思う。


高いレベルのチームなり、学校なりに入って上昇気流にのる、

というパターンもあるだろうけれども、大体が上に行って落ちてきて、

落ち着く場所がみつかる、というような。


野球選手あたりも同じで、いつまでできるかわからないけれど、メジャーに挑戦する。

続く選手もいるし、そうでない場合もあるけれど、最近はプロ野球の監督も何らかの形で

メジャーにかかわったケースが多い。


浜の番長でさえ、一時期阪神にチャレンジしようとしたし、

新井サソは阪神での経験もある。

父が阪神のタニマチをしていた岡田監督でさえオリックスに飛ばされている。

ヤクルト高津監督はホワイトソックスに行くもヤクルト復帰時はかつての同僚古田から入団テストを受けさせられている。

中日タッツーはエリート街道まっしぐらでありつつ、現役晩年時落合に干され、また監督も落合圧で長年できなかった、という。

阿部についてもタッツーに似てるようでいて、ある意味約束されていた監督の椅子なれど、周囲が考えていたよりはストレートに監督にはなれず、「桑田監督」「川相監督」すわ「元木監督」もちらつかされながらの監督就任である。


こう見てくると多かれ少なかれ、不遇の時代はあるのであり、どのキャリアも似たようなところがある、

ということである。