カラオケを歌うにしても、どこかの店に行くにしても
・「ここは鉄板!」という店に行く人
・「ちょっとチャレンジ」という店に行く人
がいる。
カラオケでいうと「歌えるかどうかわかんないけど、適当に入れちゃおう」みたいな感じで歌えなかったらすぐに中止して、歌えたけど1番だけでいいやとかサビだけでいいや、と中止して、というアレである。
お店なんかも同じ。
「帰りにちょっとアレ見たいから一緒に行ってよ。」
などとスマホの地図など見ながら「歩いてでもいけそう」とかいってむちゃくちゃ遠く、ヘトヘトになって歩いたのに、店がショボショボで「あ、もういいや」となり、もう疲れたから何か食べよう、と仕方なく入った店がまあまあ美味しかったり。美味しかったけど、もう二度と行かないよな、と。
どうでもいい人とどうでもいい時にたまたま遭遇したいいお店。
いわゆるところの大切な人と大切な時に行くお店みたいなのって違和感がある。
どうでもいい人って言っちゃうとものすごく語弊があるけれど、どうでもいい人とどうでもいい時に行ったお店とかの方が感慨深い。
それは平凡な日常が素敵、というものでもなく、どうでもよさが感慨深さを生む、ということである。
好きでも嫌いでもない人といった適当な店の記憶が思い出してみるになかなか愉快である。あの時なんであんなとこいったんだろうね?と大笑いするようなことである。
「大切な人と大切な時に行く店」的なストーリーはワンパターンで面白くない。