業務報告書

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毒々しさは生きる意欲である。

ポジティブでもネガティブでもなく、ニュートラルに生きる。

 

多分これが性分である。

 

ニュートラルといってもプラスとマイナスの振れ幅があってのニュートラルである。

 

個人的には強烈にエネルギーがあるので、放電しなくてはいけない。一方で放電したらきちんとチャージしなくてはいけない。

 

それだけのことである。

 

お金にしても、エネルギーにしても使い道がなくもてあまし気味ではある。

 

「余っているならくれ。」

 

そういうことではないのである。投資と同じでエネルギーもお金もきちんと成長性のあるところに使わなくてはいけないのは何となく決まっているらしい。

 

余っているからくれ、と明示的に言わなくても黙示的にわかる。そういう場合はきちんと断ち切っていくことが必要になる。

 

強烈にエネルギーを発信すると、強烈にエネルギーを発信したいと思っている人が自然と集まってくる。

 

エネルギーは発信する方がよくて、という話ではない。

 

そういう意味で言うと何度かココの記事でも書くように「毒々しさ」というのは生きる意欲である。自然の食事を食べる時期があったとしても必ず逆に毒々しい食べ物や生活をすることがわかっている。リバウンドともいうのだろうけども毒々しさはあってはならない、ではなく大きくみればしかるべきもの、の一部分だと思っている。