教育というのは大半が自分が受けたある種のトラウマの解消だったり、うれしかったことの伝達だったりする。
ただ思うに「こういう風にさせたくないから」というのはあんまり伝わらないことが多い。
たとえば父親が「自分は勉強したくても出来なかった。だから勉強して欲しい。」と思っていたようだ。
ただこれはあんまり伝わらない。むしろありがた迷惑。ありがた迷惑と言わなくてはいわなきゃいけない点でも迷惑。
小学校6年生のときに父親が東電の話をしてくれた。「偏差値が高いと危なくないところにいて、偏差値が低いやつは危ないところで仕事をさせられる。だから偏差値が高いところに行った方がいい。」
実際そうなのだけれど、勉強してそんな未来しかつたえられない見識のなさというのはどうなのだろう?とトータルでいろいろやっていたとしてもこれ以降この人に相談するのは辞めた。
父にはいろいろなことを感謝しなければいけない。でも正直なところ感謝はしたいというわけではない。
同じようなケースはいろいろあるだろうとおもう。
不器用な父が娘が結婚に行く前日に風呂で声を出して泣いていた。
感動する。
でもその手のストーリーは1回で十分。古い。