経済の世界では「地位財・非地位財」という区分けがあることを学ぶ。
経済といわずこの手の話は聞いたことはある。
すごく単純化していうと地位財はマウンティングですごいんだぞ、というためのもの。非地位財とはそうではなく、実質的な使用価値をいうもの。
この手の話ではダイヤモンドがよく出てきた。「単に光る石じゃん。」という。
実際にはダイヤモンドは硬度からドリルなどに使われたりもしているので100%の地位財という風には区分けできないようにも思うが。
で、地位財に惑わされずに非地位財を活用しようと。
ただそういう割にアップルウォッチなんて100%とはいわないけど、価格の8割以上は地位財的な性質の方が強いと思っている。確かにSuicaのタッチは大分楽だけど、みんな声をそろえて言うのはそこまで。Suicaのタッチに4万かけますか?使用価値として。健康管理といったって他に5000円いかないでよいのがあるので。。。。
ベンツが地位財かというと「この頑丈さは非地位財という他ない」とユーザーは言うはずである。
特に服などはこの理屈で言うとすべて地位財となってしまう。機能的に言えばユニクロか、スポーツウェア、キャンプウェアみたいのを着てりゃいい、という議論。実際そういうおじさん、おばさんもいるけれど。
究極いうとアートとか音楽系もアウト。
思うに教育というのは9割以上地位財としての性質を持っている。
内容だけで言うなら放送大学でいい。
財の話になってしまったけれど、地位言論、非地位言論というのもある。
挨拶だったりお言葉的な、要するに儀礼的なものとマニュアルとか辞書、ガイドといった使用価値のある言論。あるいは名もなき人の本音の言葉など。
記号論的に差異を求めるだとかそんな議論も彷彿とさせる。
ちょっとシンプル過ぎる二分論、二元論だという話。実を言うと全く使用価値を感じさせないような地位財に生きる本質を感じるからである。
どうも「それって役に立ちますか?」という中学生レベルの議論を出ない気がする。