息子の親友はというと公文や野球、プールと習い事に忙しく、一緒に遊ぶ時間がとれないらしい。同じ野球チームに入れば遊べる(野球が出来る)から、とその野球チームに入りたい、という。
この親友の子ものんびりした子の割に単純に習い事を楽しんでいる感じの子である。5人兄妹(!)の末っ子というのもあるのかもしれない。
勉強が出来る子も孤独感を感じず、逆に勉強ができないタイプの子も孤立しないバランスを保てる地域というのは貴重であると思う。地域的にスポーツも盛んで勉強のできない子を鍛え上げる受け皿がある。
この年になると余計に愛校心なり、コミットできるコミュニティなりというものの重要性というのも実感する。ホームを作っていく感覚である。
おじさんが寄付したり、あるいは行きつけを作りたくなるのもホーム作りなのかもしれない。
ただ世の中は無常である。神保町のいもやがなくなる日が来ると思っていた人はどれだけいるのだろうか?
私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいないのだなと実感する。