中2病とか、ポエムとか。
ヲタというのもそうなのだけれど、はてなというのはSNS的なスター機能などもありつつ、一方でソーシャルネットワーキングというよりはものすごく極私的な書き方をするブロガーが多い印象。
SNSに比較的近い雰囲気はアメブロという印象をもっているが、どうだろうか。
40過ぎてのお友達というのはいわゆる所の機能的な友達でママ友だとかゴルフ友だとか仕事のつながりだとか、そういった社交的なつながりがベースになることが一般的かと。
ちょっと前に書いていたような「本当の友達」とはちょっと違う。
とはいえ「本当の友達」「心からわかり合える友達」「心や魂の交流」をしたい人達もいるし、人と属人化しなくともニーズがある。
個人的には「社交的に中2病遊びができる」というのが強みなのかもしれないと思った。
心理学的にいうと(主にNLPで聞いた)、アソシエーションとディソシエーションという方向があり、アソシエーションというのはどっぷりその世界に浸って回りがみえなくなり、ディソシエーションというのは一歩引いて第三者的に対象化してみている方向である。
自分の好きなアイドルの悪口をいわれてキレる、などはアソシエーションのケースである。
アソシエーションにしてもディソシエーションにしてもどちらがいい、というよりは次元の問題という気がする。
ヲタなアソシエーションは大概ストーカー的だし、ヲタなディソシエーションは分析やら評論家気取りで癪に障るというもの。
自分はというとやはりヲタなのでディソシエーションを気取っているストーカーだろう。
違いを分けるのは何かというと「どれくらいそれを諦めているか?」なのだと思う。
ハゲだとか、友達がいないという自虐も度が過ぎると却って周囲は気を遣う。
20代の前半の頃、ふらふらしていて、教会の支援のもと国際交流の名目で海外に行くゼミというかサークルに通っていた。
若干意識高めの大学生をメインに、ヲタで少し年上の自分が憎まれ口を利くという関係であった。
「シゲオさんはそういうことばかり言って結局なにがしたいんですか!」
アソシエーション系の真面目女子に居酒屋で評論家気取りのディソシエーション的態度を非難される。
「そう。シゲオさんはなんで参加しているの?」
「・・・・さみしいから。」
それを言っちゃう?言えちゃう?というネタをバラしてしまう元も子もない感じ。
「あ~、親戚が勝手にオーディションに応募して受かっちゃった’パターン’ですよね~」と平気で言えてしまうさしこのようなばらし方。
「たまたま原宿歩いていてスカウトされちゃった」ではなく、スカウトされないかと原宿でスカウトっぽいひとの前を何往復も歩いても声をかけられず、待ちきれなくなって「スカウトの方ですか?」と自分の方から声をかけ、実はハロプロのオーディションにも落ちたけど、諦めずにオーディション受けていてやっと受かりました、というばらし方。
確かに隣にトラディショナルなアイドルがいたら、相手はやりにくいはずではある。
「みんなカワイイって言うけど、自分では自分の顔がキライ」
「ほんとは嫌だけど笑顔が作れてしまう」
というのがトラディショナルなアイドルだとすると
「おはよう、ブス」と親にまで言われてネタにできる強さは脅威だと思う。
「あなたほどみんな強くない」
そうなんだと思う。