90年代から2000年に差し掛かる頃。
大学は卒業したものの、モラトリアムでふらふらしていた。
今から振り返るに正解だったと思う。
大した就職もできなかったろうし、おんなじ感じでフラフラしている輩は多かった。
大学もミッション系でちょっと世間知らずな感じの学生も多かったし。
一応資格の勉強でもしている体で資格予備校の自習室に通っていた。
お茶の水と神保町。
高校時代の友人がいたので高田馬場にも通ったけれど、
若干遠く、お茶の水と神保町に多く通った。
お茶の水ということで明治大学の学食や生協にもたまにいったが、物々しい雰囲気だった。
明治大学生協の前に立て看板があり、生協職員に立ち入り禁止的な警告が書いてあった。
ウィキペディアみると、「生協職員刺殺」などすごいな、おい、という舞台裏だったらしい。
お茶の水のWセミナーは自習室も狭く、息苦しさ半端ないのでしょっちゅうロビーに逃げていた。
50近くのおじさん、それもなんとなく肉体労働っぽいおじさんをよくみかけた。
喫煙コーナーもあって、明治大学の法学部の学生なんかが3,4人あつまっていた。
彼ら彼女らは司法書士受験生でちゃんと合格したらしい。パンフレットにばっちり写っていたので。
おじさんの方はみてない。。
明治大学はその後学生運動の残党の排除に成功し、資本主義的に大学の市場価値を高めた。
今から思えば結構楽しかった時代である。
楽しいのはその当時不安に思っていたことが数年後担保された状態で思い出せているからではあるが。