息子は「学校はなぜ行くのか?」とは言い出さないけれど、上に進むにつれて思うはずである。
端的に言うと「自動車教習所に行くようなもの」ということである。
自動車教習所と一発勝負の試験。一発勝負でも受からなくはないけれど、合格基準が厳しい。だから数十万払って普通に自動車教習所に行く。
この論理のみ。
大学でやるような勉強というのは教習所の学科の授業と同じ意味合いである。
これは日本より海外の方が強い傾向がある。
学歴社会だけでなく社歴社会もきちんとあって、実力主義も評価の一基準としてある、ということで結論はついているように思う。
日本のパスポートが価値が高いのと同じ話である。偉いとか偉くないとか言う話ではなく、そういうことである。
「そんなのおかしい!」ということに関して言うと、要するに実力主義というのは何をもって実力というのかがわかりやすい分野とそうでない分野がある。
何を実力とするかという評価基準を作ること自体が権力なのである。
となると実力主義というのは放っておくと生の権力同士の権力闘争がおこりがち、ということである。
「まあまあ。30万くらい免許取ればすぐ元とれるからいいじゃないですか。」
金持ち喧嘩せず、というのは平和のための大事な技術である。